Leg-Numbness Walkers 60s | Never A Leg Problem | V1 | advertorial | Leg-Numbness Letter Rip | 50%OFF ¥15,600 + 60日返金保証
6年間、自分の家の前の道を歩ききる前に、脚がしびれて止まっていました。でも、原因は脚ではありませんでした。
しびれ、焼けるような足の裏、自分の家の前で力が抜ける脚。それが6年続いた62歳の元英語教師(神奈川県藤沢市)が書く、4つの診療科で一度も出なかった話と、娘のひとつの質問でわかったこと。

文:小川 典子✔
もし、自分の家の前の道を、半分も歩かないうちに脚がしびれてくるのなら…
もし、足の裏が焼けるように、じんじんするように感じたり、30メートルも歩くと脚にコンクリートのかたまりをぶら下げているように重くなったりするのなら…
もし、座れる場所を先に考えてから一日の予定を立てるようになっていて、スーパーのカートにつかまっていればカートなしよりずっと遠くまで歩けるのなら…
もし、股関節のレントゲンもひざの検査も「きれいですね」と言われて、まわりのみんなに「年のせいですよ」と言われ続けているのなら…
この手紙は、あなたに書いています。私が、あなただったからです。
6年前の私は、毎朝、朝ごはんの前に鵠沼の海岸を5キロ歩いていました。
62歳になるころには、自分の家から角のポストまで、一度も立ち止まらずに行くことができなくなっていました。
ひざから下が、しびれるようになりました。
足の裏は、熱い砂の上を歩いているように焼けました。
朝によっては、右脚がふっと抜けました。痛いのではありません。ただ、抜けるのです。頭からの合図が、途中で届かなくなったように。
いちばん不思議だったのは、ここです。
腰は、痛くなかったのです。
いえ、ほとんど。
朝に少しこわばることはありました。でも、そのために病院へ行こうと思うほどではありませんでした。
つらいのは、脚と足の裏だけでした。だから、どの先生も脚を診ました。
6年のあいだに、4つの診療科にかかりました。言われることは、それぞれ違いました。どれも続きませんでした。
そして去年の10月、次女の美穂が帰ってきた週末に、ひとつだけ質問をしました。美穂は大学の研究室で、年を重ねた人の歩き方を毎日測っている研究者です。
問題は、はじめから脚ではなかったのです。
脚が言うことをきかなくなった日々

始まりは2018年でした。痛みではなく、しびれからでした。
いつものように、鵠沼の海岸を江の島のほうへ歩いていました。
折り返して半分ほど来たところで、右のふくらはぎがしびれました。ぴりぴりするのではありません。
ただ…消えたのです。
ひざから下の電気を、誰かに切られたような感じでした。
朝ごはんのとき、夫の正志に話しました。
夫は「年なんだよ。少しゆっくり歩けばいいさ」と言いました。
それから、同じことがたびたび起きるようになりました。はじめは週に一度。そのうち、歩くたびに。
やがて、足の裏がじんじんしはじめました。右のふくらはぎに、左も加わりました。
1キロ歩いたところで、だったのが、500メートルで、になり、250メートルで、になり、しまいには海に着く前に、になりました。
2020年には、無視できないものが増えていました。脚が重いのです。
足首にコンクリートのかたまりを結びつけて、引きずっているようでした。
スーパーのレジの列に並んでいることが、できなくなりました。
そのころ、おかしなことに気づきました。
カートの持ち手に体をあずけて前かがみになると、そう、しっかり体重をかけると、もう一列ぶん歩けるのです。
ベンチに2、3分座ると、脚はすっかり戻りました。
そして、自転車なら駅の向こうまで平気で行けるのに、同じ道を歩くと5分で止まってしまうのです。
かかりつけの先生に話しました。
先生はうなずいてメモを取り、「年齢的な変化でしょうね。歩くのを減らすより、むしろ増やしましょう」とおっしゃいました。
2022年には、右脚が抜けるようになっていました。
転ぶのではありません。一瞬、抜けるのです。
ある一週間に、自分の家の門の前で三度ありました。
そこでやっと、専門の先生を回りはじめました。
4人の専門医、4つの説明。全員が、脚を見ていた

かかりつけの先生は、まず整形外科を紹介してくれました。問題が脚にありそうなとき、たいていの人が最初に行くところです。
先生は、両方の股関節と両ひざのレントゲンを撮りました。どこもきれいでした。
「小川さん、年齢のわりに関節はとてもきれいですよ。お話の症状を説明できるものは、ここには見当たりませんね」
そのあとに、私の手を止めた一言がありました。「それに、まだ歩けなくなるようなお年じゃないでしょう。少し気にしすぎかもしれませんね」
私は58歳でした。診察室に座っていました。角のポストまで歩けませんでした。
それなのに、まだそんな年じゃない、と言われたのです。
家に帰っても、夫にはその言葉を話しませんでした。しばらく、家の前に停めた車の中に座っていました。
あの日から、私の中の何かが静かになりました。どれだけ悪くなっているのか、口に出して言うのをやめました。
次にリウマチ科を紹介されました。
先生は、思いつくかぎりの関節の病気を調べてくださいました。血液検査も、何度も。すべて陰性でした。
消炎鎮痛剤を出してもらいました。何も変わりませんでした。
2021年には、公民館の体操仲間に勧められて、ペインクリニックにかかっていました。
先生は私のそれまでの記録を見て、そのあと2年間で三人の先生から聞くことになる言葉を口にしました。
「神経が圧迫されている感じですね。坐骨神経痛でしょう。その方向で治療していきましょう」
腰のMRIを撮ってくれたのは、この先生が最初でした。
結果は「L4とL5のあいだが、年相応に少し狭くなっていますね」というものでした。
先生は、それが原因だとは考えていないようでした。「年齢を考えれば、特に目立つ所見ではありません」と言って、注射の話に移りました。
4年目に、私はとうとう神経内科の先生の前にいました。順番どおりの、最後の窓口です。
先生は両脚の神経伝導検査をしてくださいました。
結果は「境界域」でした。
先生もはっきりとはわからないようでしたが、「末梢神経障害の初期かもしれません。一年後にもう一度検査しましょう」とおっしゃいました。
私は、もう行きませんでした。
整形外科では、まだそんな年じゃないと言われ、リウマチ科では何も見つからず、ペインクリニックではMRIに目立つものはないと言われ、
神経内科では検査が境界域だと言われて。説明は4つありましたが、どれを足しても、これからどうすればいいのかにはなりませんでした。
手もとに残ったのは、ペインクリニックの先生の「神経の圧迫として治療していきましょう」という方針だけでした。
そこから、本当の行列が始まりました。
4年間、試したこと

それから4年、私がいま「行列」と呼んでいる日々が続きました。
消炎鎮痛剤。 はじめは市販薬、次に処方薬。先生が変わるたびに、少しずつ強いものになりました。きちんと飲みました。脚はしびれ続けました。
リハビリを2クール。 それぞれ12週間。担当の方は二人とも違う人でした。でも、出される運動は同じでした。お尻のストレッチ、股関節まわり、ブリッジ、そして「体幹トレーニング」。お腹は固くなりました。脚はだめなままでした。
硬膜外ブロック注射を3回。 一回目は、ほぼ5か月、本当に楽でした。助かったと思いました。二回目は8週間。三回目は3週間ももちませんでした。四回目を勧められて、お断りしました。
プレガバリン。 少ない量から始めて、最後は上限まで。頭に霧がかかりました。体重が7キロ増えました。20年教えた生徒たちの名前が、出てこなくなりました。脚は、それでもしびれました。
医療用の硬いコルセット。 神経内科の検査のあとに勧められました。肌がかぶれました。つけている月が増えるほど、背中が弱くなっていく気がしました。
息子が通販で買ってくれた低周波治療器。 ふくらはぎに、太ももに、腰に、パッドを貼りました。皮膚の上で、ぴりぴりしました。その奥には、何も。引き出しにしまいました。
2024年のはじめ、別の整形外科でセカンドオピニオンを受けました。
先生は新しいMRIを見て、私がいちばん聞きたくなかった言葉を使いました。
「小川さん、L4とL5の狭窄が進んでいます。このままなら、椎弓切除術、つまり手術を考えましょう」
手術。
圧迫されている神経のまわりの骨を、削る手術です。4年前の最初のMRIに、もう写っていた場所でした。あのとき「年相応」と言われた、同じ場所です。
私は病院の駐車場で、20分、車から降りられませんでした。
4つの診療科。6年。自己負担だけで、合わせて60万円を超えていました。
リハビリ2クール、注射3回、頭に霧をかけた薬がひとつ、コルセットがひとつ、低周波治療器がひとつ。
そして、今度は手術。
最後には、誰もが神経が圧迫されていると認めていました。
でも、なぜ圧迫されているのかを説明できる人は、いませんでした。
そして、私がやってきたどれもが、その圧迫しているものに届かなかった理由を説明できる人も、いませんでした。
美穂が帰ってきた週末

美穂は、下の娘です。38歳になります。
体の動きを測る仕事を、もう10年しています。でも、最初の7年はスポーツクラブで、年配の方の運動指導をしていました。
2023年に、横浜の大学の研究室に移りました。年を重ねた人の歩き方を、機械で細かく測る研究です。
そこで美穂は、私のような歩き方をする人を、毎日見るようになりました。
もうひとつ、知っておいていただきたいことがあります。私は、どれだけ悪くなっているかを、美穂に話していませんでした。子どもは四人います。
心配をかけたくなかったのです。電話ではいつも明るくして、向こうの家族の様子を聞いたり、庭の話をしたりしていました。
美穂から電話が来るときは、いつも座って出ました。声で気づかれないように。
去年の10月の三連休に、美穂が帰ってきました。金曜の午後、正志が藤沢駅まで迎えに行きました。
美穂は、私が玄関から台所まで歩くのを見ていました。台所のカウンターに寄りかかって話すのを見ていました。
私がどさっと椅子に座るのを、見ていました。いつのまにか、そういう座り方しかできなくなっていたのです。
それから美穂は、6年間、誰からも聞かれたことのない質問をしました。
「お母さん。これだけ病院を回って、多裂筋がちゃんと働いているかどうか、誰か調べてくれた?」
何のことか、わかりませんでした。聞いたこともない言葉でした。
6年です。4つの診療科です。神経の検査も、MRIも2回、画像は数えきれないほど撮りました。
多裂筋という言葉は、一度も出てきませんでした。一度もです。
その日、美穂は1時間かけて説明してくれました。はじめは台所のテーブルでお茶を飲みながら、途中からは縁側で。硬い椅子に、それ以上座っていられなかったからです。
美穂の言った一言が、ほかのどの言葉よりも長く、私の中に残りました。
「お母さん、脚に感じていることは全部、腰の神経に通り道の余裕がないから起きてるの。余裕がなくなるのにはちゃんと理由があって、それを誰も見ていないの」
美穂が話してくれたこと、話してくれた順番で

美穂は、いちばん簡単な質問から始めました。
「お母さん、まず教えて。どこに感じる?いちばんつらいところ」
私は答えました。ほとんどは、ふくらはぎ。ときどき足の裏。長く立っていると、太もも。右脚は、ふっと抜ける。指で、ひとつずつさしながら答えました。
「そう。じゃあ、ここがどの先生も見落としてるところ。お母さんは脚に感じてる。でも、脚は問題じゃないの」
美穂はテーブルの紙ナプキンを一枚取って、ボールペンで、骨をひとつずつ積み重ねるように絵を描きはじめました。
まず知っておいてほしいこと:脚や足の裏につながる神経は、脚から始まっているのではありません。
始まりは、腰の背骨です。
腰の骨と骨のあいだにある小さなすき間、主にL4、L5、S1と呼ばれるあたりから外へ出て、お尻、太もも、ふくらはぎ、足の裏へと降りていきます。
次に:その神経が、背骨から出るところで圧迫されると、その感覚は、圧迫されている場所には出ません。
神経の行き着く先に出るのです。
神経が押されているのは腰。でも体は、それをふくらはぎや、足の裏や、足の指の感覚として知らせてくるのです。
先生たちが「神経の圧迫」という言葉を使い続けていたのは、そのためでした。
それは、6年間で誰かが私にくれた、はじめての正確なかけらでした。
そして、それで何かが変わりました。
6年ぶりに、脚の感覚は脚についての知らせではないのだと、話してくれる人がいたのです。
それは、腰からの知らせでした。何年も前から、私に気づいてもらおうとしていた知らせでした。
そして美穂は、次の質問をしました:
「じゃあ、そもそもどうしてその神経が圧迫されると思う?」
わからない、と答えました。椎間板か、骨の変形か、「年のせい」だろうと思っていました。どの先生も、そのどれかを言っていたからです。
美穂は、どれも少しずつ違う、と言いました。
神経の通り道を守っている筋肉

美穂が次に描いたのは、こういう図でした。
腰の背骨には、ひとつひとつの骨の左右に小さなすき間があって、そこから神経が出て、脚へ降りていきます。
そのすき間には「椎間孔」という名前があります。でも、大事なのは名前ではありません。
大事なのは、神経が通るそのすき間の広さが、上下の骨がどれだけしっかり離れて支えられているかで決まる、ということです。
骨がきちんと積み重なっていれば、すき間は開いたままです。神経には、通り道の余裕があります。
神経は、何にもじゃまされずに脚まで降りていきます。
骨と骨が少しずつ近づいてしまうと、たとえわずかでも、すき間は狭くなります。
神経が、圧迫されます。
そして圧迫された瞬間から、体はその神経の行き着く先へ、知らせを送りはじめます。
ふくらはぎへ。足の裏へ。太ももへ。
だから本当の問いは、「なぜ神経が圧迫されているのか」ではありません。
本当の問いは、「骨と骨を離して支えているはずのものは何で、それはなぜ働くのをやめてしまったのか」です。
答えは、筋肉です。ひとつの筋肉です。
腰の背骨にそって上から下まで走り、腰の皮膚から3センチほど奥で、ひとつひとつの骨に巻きつくようについている筋肉。背骨の、内側のコルセットのようなものです。
多裂筋といいます。
大げさではなく、腰の背骨にとっていちばん大事な筋肉のひとつです。
多裂筋が働いているとき、ひとつひとつの骨はその位置に保たれています。
上半身の重さを、骨だけに負わせずに受け止めています。
神経が出ていくすき間を、開いたままにしています。
脚は動きます。足の裏も、ちゃんとついてきます。
朝の海岸を、脚のことなど何も考えずに、5キロ歩けます。
働いているのを感じることはありません。そんな筋肉があることを、考えることもありません。ただ、黙って働いています。
働かなくなるまでは。
私の多裂筋が、6年間止まっていた理由

美穂は、ここから少しゆっくり話しました。
すべてがつながる部分だったからです。
「お母さん、6年か8年か10年前、背骨にはじめて何かの負担がかかったとき、体は自分を守るために、あることをしたの。
多裂筋への合図を弱めたの。止めたと言ってもいいくらい。反射で、自動的に」
背骨が痛みや傷、あるいは年を重ねることで起きる小さな傷みを感じると、体は奥で支えている筋肉への合図を弱めて、守りに入ります。
体が「もう動くな。悪くするだけだ」と言うようなものです。
そして筋肉は、それに従います。
腰痛がはじめて出たあと、痛い側の多裂筋が細くなっていた、という研究報告があります。
しかも、痛みが引いたあとも、多裂筋は自然には元に戻っていなかったのです。
美穂の次の言葉で、私は台所のテーブルで手を止めました。
放っておいても、戻りません。
安静にしていても。
私が受けたリハビリの、お腹やお尻を鍛える運動でも。
ストレッチでも、ヨガでも、散歩でも、なかなか順番が回ってきません。
ふつうに体を動かすと、表面の大きな筋肉が先に働いて、奥の多裂筋の仕事まで引き受けてしまうからです。
多裂筋は、弱っているのではありません。
止まっているのです。
動かし方がわからない筋肉は、鍛えようがありません。
美穂は、この状態を「ロックアウト」と呼んでいました。
その言葉を聞いたとき、6年間のすべてに、はじめて説明がつきました。
私の多裂筋は、何年も止まったままだったのです。
多裂筋が働かないあいだ、腰の骨と骨は、少しずつ近づいていました。
L5とS1のあいだ、坐骨神経が出ていくすき間は、ひと月ごとに、6年かけて狭くなっていたのです。
それが、神経の圧迫でした。
それが、脚がしびれた理由でした。足の裏が焼けた理由でした。
角のポストまで歩けなかった理由でした。
そして、私が試したどれもが続かなかった理由でした。
なぜ、どれも続かなかったのか

縁側で美穂と並んで座りながら、私はやっと理解しました。
リハビリで多裂筋が戻らなかったのは、止まっている筋肉を自分の意思で動かすのが、とても難しいからです。担当の方が鍛えてくれたのは、お腹やお尻や股関節のまわり、つまり、本当に必要だった奥の筋肉のまわりにある、表面の筋肉でした。
注射が一時的にしか効かなかったのは、圧迫された神経のまわりの炎症を、数週間しずめるものだったからです。すき間が狭くなり続ける理由のほうは、誰も見ていませんでした。薬が切れれば、同じ骨が、同じ神経に近づいていました。
低周波治療器で何も変わらなかったのは、あれが皮膚の表面の感覚に働きかけるものだったからです。ぴりぴりしたのは皮膚でした。私の多裂筋は、そのずっと奥、皮膚から3センチほどのところにあります。
コルセットで背中が弱ったのは、多裂筋の仕事を、外のベルトに任せてしまったからです。つけている月が増えるほど、中の筋肉は仕事をしなくなりました。
プレガバリンは、知らせの音を小さくしました。でも、なぜ知らせが送られてくるのかには、何もしませんでした。
それなら、二人目の整形外科の先生が話していた手術は?
美穂は、言葉を選んで言いました。
「手術が必要な人は、たしかにいるの。それを決めるのは、先生とお母さん。手術は、骨を削って、神経の通り道を広げるもの。
でもね、お母さん。すき間を支えるはずの筋肉のことは、手術とは別に、誰かが考えないといけないの。そこは、手術では変わらないから」
私は、壊れていたのではありませんでした。
私の体が、私を裏切ったのでもありませんでした。
6年間、スイッチの切れたままの筋肉があって、誰もそれを入れ直そうとしなかった。それだけだったのです。
止まった筋肉を、外から動かす方法

自分の意思では動かしにくくなった筋肉を、外から動かす方法がある、と美穂は言いました。
もっとリハビリをすることではありません。
もっと注射をすることでもありません。
手術のことでも、もちろんありません。
それは、EMSでした。
電気の刺激で、筋肉そのものを収縮させる方法です。
低周波とは違います。美穂はここをはっきり言いました。よく同じものだと思われますが、目的の違うものです。
私が引き出しにしまったような低周波治療器は、皮膚の上から刺激を届けるものです。ぴりぴりします。
感覚に働きかけて、気をそらします。
筋肉を動かすためのものではありません。
EMSは、電気の刺激を筋肉に届けて、筋肉そのものを収縮させます。
筋肉が自分から動き出すのを、待ちません。
多裂筋に「動いて」とお願いするのではありません。動かすのです。
一回、また一回と、収縮させて。
止まっていた筋肉に、動くことを思い出させていきます。
体と筋肉のあいだの、何年も細くなっていた連絡を、使いながらつなぎ直していきます。
EMSは、スポーツの現場でも、リハビリの現場でも、長く使われてきた方法です。
病院では、寝たきりのあいだに筋肉が落ちないようにするためにも使われています。
ただ少し前まで、それを使うにはリハビリ施設や自費のジムに通うしかなく、予約も必要で、一回ごとにお金がかかりました。
そのあと美穂は、それを変えた機械の話をしてくれました。
私を、また朝の海岸に連れていった機械

TEORA アダプティブEMSケアシステムといいます。
家で使えるEMSで、体の奥の筋肉に、やさしく働きかけるように作られています。病院にもジムにも通わずに、自分の家のソファで使えるものです。
ただ、ほかのEMSと違うところがあります。
ただ筋肉をぴくぴく動かすだけの機械では、ありません。
こわばりをゆるめることと、内側から支える力を呼び戻すことを、同じ15分のなかでやるのです。
美穂は、紙ナプキンの裏に、ふたつのはたらきを順番に書いて説明してくれました。
ひとつめは、ゆるめること。 規則正しい、やさしいリズムで筋肉を動かして、固まっていたところをほどいていきます。
腰のまわりの、ずっと力が入りっぱなしだったところが、ふっと抜けていきます。
長いあいだ、ぎゅっと縮こまっていた場所に、少し余裕が戻ってくる感じです。
最初の数分で「ひらく」ように感じる人が多い、と美穂は言いました。
ふたつめは、呼び戻すこと。 ゆるめながら、そのあいだに奥の筋肉を収縮させ続けます。
一回、また一回。
続けるうちに、体がその筋肉の使い方を思い出していきます。
内側から支える力を、少しずつ取り戻していくのです。
一日15分。貼って、ボタンを押して、座っているだけ。やることは、それだけでした。
美穂は、横浜に戻る前に、私の携帯にリンクを送ってくれました。
私は、その日曜日の夜、正志が寝たあとに、台所で注文しました。
通常31,200円のところ、そのときは半額の15,600円でした。
医療用のコルセット1本と、ほとんど変わらない値段です。
息子が買ってくれて、私が引き出しにしまった低周波治療器とも、ほとんど変わらない値段です。
それからの90日

機械は、注文から10日後の火曜日に届きました。
正直に言えば、箱を開けたとき、期待はほとんどしていませんでした。
何度もがっかりしてきたので、気持ちのほうが、もう何かを信じるのをやめていたのです。
正志にはこう言いました。「これでだめなら、もう何かを試すのはやめる」
本気でした。
1日目:腰の背骨の左右、ベルトのあたりにパッドを貼りました。いちばん弱い段階から始めました。
そして、6年間感じたことのないものを感じました。奥のほうで、ぐっ、ぐっと動く感じです。
表面ではありません。内側です。
8分ほどたったころ、腰のまわりがふっとゆるんだ感じがしました。どこかが、ほどけたようでした。
4週目:スーパーで、気がつくとカートの持ち手に体をあずけずに歩いていました。
夜、布団に入ってから脚をさすらずに眠れる日が、少しずつ増えていました。
角のポストまで行って、帰ってきました。一度も止まらずに。3年以上ぶりのことでした。ポストの前で、ひとりで少し笑ってしまいました。
8週目:家の前の通りを、端まで歩きました。行って帰って、800メートルほどです。
途中で、一度も立ち止まりませんでした。電柱を数えながら、次に休む場所を決めて歩くくせも、いつのまにか消えていました。
10週目:公民館の「歩こう会」に、6年ぶりに申し込みました。
受付の方に「お久しぶりですね」と言われて、何と答えたか覚えていません。
12週目:朝5時半、車で鵠沼の海岸へ行きました。
江の島のほうへ、昔の散歩道を歩きました。サーフショップの前を過ぎて、海岸が細くなるあたりまで。
3キロ。車に戻って、運転席に座って、泣きました。
「痛みがどうこう、ではなかったんです。脚が、また自分のものになった気がしたんです。6年間、体はずっと脚のことを知らせてきていました。腰がしっかりしてきたら、脚のことを考える時間が、少しずつ減っていったんです」

小川さんがスーパーのカートに体をあずける話を書いていて、台所のテーブルで泣いてしまいました。あれは私だけだと思っていたからです。3つの病院に行きましたが、そのことを聞かれたことは一度もありませんでした。使いはじめて4週間。昨日、カートにつかまらずにスーパーを一周できました。まだ気持ちの整理がついていません。

元消防士、66歳です。この4年、60メートルほど歩くと脚が言うことをきかなくなっていました。病院ごとに言われることが違い、ひざだ、股関節だ、血の巡りだと。手術の話も二人の先生から出ました。小川さんの記事を読んでTEORAを注文しました。7週目の今朝、町内の端のポストまで歩いて、帰ってきました。2021年から一度もできなかったことです。

半ブロック歩くと両足の裏がしびれる状態が、もう5年続いていました。整形外科では「まだ腰を悪くするような年じゃないですよ」と言われて、痛み止めをもらって帰されました。何も変わりませんでした。小川さんの記事は、ほとんど泣きながら読みました。6週間使って、2020年からやめていた朝の買い物に、また歩いて行っています。夫が、なんでそんなににこにこしているのかと聞いてきます。
いま、私がいる場所

最初の15分から、10か月がたちました。
2026年の6月には、また毎朝、鵠沼の海岸を5キロ歩くようになっていました。海の上に朝日があって、家に帰るとお茶が待っています。
最初の1キロは、正志がいっしょに歩くこともあります。
いまは月曜、水曜、金曜に15分ずつ、TEORAを使っています。
それが、私の続け方です。
それ以外の時間は、ふつうに暮らしています。
脚のことを考えずに歩いています。2018年より前と、同じように。
角のポストは、いまでは散歩の途中の、ただの通り道です。
あなたに知ってほしいこと
もしあなたが、あのころの私と同じ場所にいるのなら。自分の家の前で脚が言うことをきかなくなり、足の裏がしびれたり焼けたりして、座れる場所を先に探して一日の予定を立てるような、どんどん小さくなる世界にいるのなら。
私は、2018年の自分の手に、この手紙を渡してくれる人がいたらと思って、これを書いています。
あなたは、何も間違えていません。あなたの体が、あなたを裏切ったのでもありません。
脚に感じているものは、問題そのものではないかもしれません。それは、知らせなのかもしれません。
問題は腰にあるのかもしれません。何年もかけて近づいてきた骨と骨のあいだで、神経が押されているのかもしれません。
そして、その骨を支えるはずの筋肉が、症状が出るよりずっと前から、静かに止まったままなのかもしれません。
あなたがこれまで試してきたことは、どれも、少し違う場所をねらっていたのかもしれません。
あなたが試したのが間違いだったのではありません。
どこに本当の問題があるのかを、誰も説明してくれなかっただけです。
あなたは、壊れていません。止まっているだけです。そして、その二つはまったく違います。
TEORA アダプティブEMSケアシステム

私が毎日使っている、家庭用のEMSです。
- 低周波ではなくEMS。筋肉そのものを収縮させます
- ふたつのはたらき:こわばりをゆるめる+内側から支える力を呼び戻す
- 1日15分。座ったままでも、横になったままでも
- 完全コードレス。貼ったまま家事も読書もできます
- 6モード・16段階。その日の調子に合わせて選べます
- 腰の左右に貼るだけ。操作は本体のボタンだけです
- 4,991件の認証済みレビュー、平均4.9
- 60日間返金保証。理由は問いません
- いまだけ50%OFF・全国送料無料。在庫にかぎりがあります
いまなら50%OFF、15,600円です。
医療用のコルセット1本と、ほとんど同じ値段。
私が引き出しにしまった低周波治療器と、ほとんど同じ値段。
6年間の通院で使ったお金の、ほんの一部です。
60日間の返金保証

60日間、一日15分、テレビを見ながらでもかまいません、使ってみてください。
もし脚が自分のものに戻ってくる感じがしなければ、角のポストまでの道が少しも変わらなければ、歩ける距離が伸びなければ、送り返してください。
全額返金です。書類もいりません。理由も聞かれません。メールで一言ご連絡をいただくだけです。
これが自分に合うのかどうか、60日あれば十分にわかります。私は、14日目にわかりました。
最後に、ひとつだけ
この手紙が、もしあなたのところに届いたのなら、ひとつだけお願いがあります。
どうか、先延ばしにしないでください。
私は6年間、しびれる脚の原因を、脚の中に探していました。
6年間、みんなが脚を指さす診察室を、ひとつずつ回っていました。
6年間、誰も見ていなかった奥の筋肉に、何ひとつ届かないままでいました。
待つ一日は、多裂筋が止まったままの一日です。
腰の骨と骨のあいだで、脚へ降りていくはずの神経の通り道が、狭いままになっている一日です。
それでも、あなたには今日があります。
それだけで、十分です。
希望をこめて
小川 典子
元中学校英語教師・神奈川県藤沢市
2026年6月から、また朝の海岸を歩いています
在庫のあるうちに、50%OFF+全国送料無料でご注文ください
NOTE:この価格はAmazon・楽天では扱っていません。
コメント
どなたか、実際に使っている方はいますか。
この小さいのが、本当にいいです。腰がずっと重だるくて、夕方になるとつらかったのですが、15分使うと軽く感じます。狭窄症とヘルニアの両方があって、これほど気に入ったものはありませんでした。正直、こんなにしっかり動くとは思っていませんでした。
30メートル歩くと脚がしびれる生活が5年。専門医3人、リハビリ2クール、ブロック注射は1回で6週間。なぜ神経が圧迫されるのかを説明してくれた人は、誰もいませんでした。小川さんの娘さんの説明で、はじめて腑に落ちました。8週間使って、先週の土曜日、コストコを休まずに一周しました。3年ぶりです。
届くまでどのくらいかかりますか?
杉本さん、うちは注文から8日で届きましたよ。
4年間「坐骨神経痛」と言われてきました!!何が神経を圧迫しているのか、誰も説明してくれませんでした。この記事を二回読みました。いま6週間目ですが、朝の散歩を途中で切り上げずに帰ってこられる日が増えました。正直、まだ信じられません。

一年半でブロック注射を3回。一回目はとてもよく効いて、最後は2週間くらいでした。先生が固定術の話を始めて、こわくなりました。友人がこの記事を送ってくれて、正直、またかと思いました。器具はひと通り試してきたので。でも多裂筋の話で、なぜどれも続かなかったのかが、はじめて腑に落ちました。6週間たって、手術の相談は、次の診察まで待ってもらうことにしました。痛みがゼロになったわけではありませんが、はじめて体が安定している感じがあります。
すごい。いま注文しました!
買った方、届くまでどのくらいでしたか。
うちは1週間ちょっとでした。
定年して3年。その1年後から、足の裏とふくらはぎが焼けるようになりました。神経の圧迫と言われて、薬を出されて、そのうち手術の話も出ました。小川さんの記事を読みました。TEORAを9週間使って、昨日の朝、犬と町内をぐるっと一周しました。妻は、何週間も黙って私の歩くのを見ています。
よさそうですけど、実際に使った人はいるんですか?ちゃんと試されているものなんでしょうか。
はい、脊柱管狭窄症と言われている母に買いました。ボタンだけなので、母でも迷わず使えています。
私も注文しました。届くのが楽しみです。
ほしいです。今週末、お給料が入ったら買います笑
届くまでどのくらいかかるか、ご存じの方いますか。友人に贈りたいのです。
西川さん、うちは9日で届きました。
ご友人、きっと喜ばれますね。贈り物にぴったりです。
3人の先生に、みんな坐骨神経痛と言われました。ブロック注射は、1回目のあとは効きませんでした。神経がそもそもなぜ圧迫されるのか、ちゃんと説明してくれたのはこの記事がはじめてです。5週間使って、昨日は家のまわりを一周できました!!2年以上できなかったことです
TEORA、本当に気に入っています。娘にもうひとつ買いました。私のを使って返してくれないので。
わかります。今日は在庫があってよかったです。前回みたいに売り切れる前にと思って、すぐ注文しました。
昔の低周波治療器を使ったことのある方ならわかると思いますが、コードが必ず絡まるんです。動き回る仕事をしていると、仕事中に使うのはまず無理でした。これはコードがないので、つけたまま動けます。作ってくださった方に、お礼を言いたいです。
